明日をつくろう!夏堀めぐみとともに明日をつくる会|北海道釧路市

対談記事 2023.03.29

釧路の内と外で触れてきた多様な価値観【よくわかる夏堀めぐみ・前編】

みなさん、こんにちは。

今回から2回にわたり、私が函館在住のフリーライター・編集者の阿部光平さんにインタビューいただいた時の様子をお送りします。
私やクスろメンバーと親交がある阿部さんは、函館のローカルメディア『IN&OUT -ハコダテとヒト-』の運営にも携わっておられます。
※阿部光平さんについてはこちらをご覧下さい。

1回目となる今回は、私の生い立ちに加え、今の夏堀めぐみが形成された経緯に阿部さんが切り込んでくれました。

これまで語ってこなかった内容が多く、恥ずかしさもありますが、私のことを知ってもらえる機会になると思い、赤裸々に語らせていただきました。

小学生夏堀が考えていたこと、実家のラーメン屋における仕事の流儀、私が社会に対する課題感を認識するきっかけになった出来事など、
少し長くなりますが、ぜひご一読ください!

釧路の内と外で触れてきた多様な価値観

―夏堀さんは釧路のご出身とのことですが、小さい頃はどんなことをして過ごしていましたか?

夏堀:小さい頃はすごく人見知りで、あまり人と関わらない子だったみたいです。だけど、保育園の年長さんのときに鼓笛隊の指揮者をやったことをよく覚えてて。それをきっかけに人前に立つワクワク感や、みんなと何かをする楽しさを知ったような記憶がありますね。かと言って、急にアクティブになったわけではなく、自由帳に絵を描いたり、友達と好きなテレビの話をしたり、そういう幼少期を過ごしていました。

―今はイラストレーターのお仕事もされていますけど、当時から絵を描くのが好きだったんですね。

夏堀:絵はずっと描いてましたね。アニメのキャラクターを描いたり、クラスメイトが登場するマンガを作ったりもしていました。親も兄弟も漫画好きで、常に近くに本がある環境だったんです。
だけど、中学生になるとみんな興味の対象が変わってきて、今までのように漫画やテレビの話で盛り上がる機会が少なくなってきました。今振り返ると私が子どもっぽかったんだと思いますけど、話題について行けないときもあって、職員室で過ごすことも多い時期でしたね。

夏堀:高校では、自分と同じような興味や視点を持った人たちとも出会えて、居場所ができたという感覚がありましたね。特に、高校2、3年生のときのクラスはすごく楽しくて。勉強や恋愛だけがすべてじゃないし、誰かの悪口を言う人もいなくて、優しい社会の縮図みたいなクラスだったんですよね。

―「優しい社会」というのは、「寛容さがある」みたいなことですか?

夏堀:そうですね。言葉をかけてくれるだけではなく、話を聞き出してくれたり、放っておいてくれる優しさもあるじゃないですか。そういういろんなコミュニケーションのあり方を知りました。その経験が今の自分を作ってくれたと思います。

―さまざまな価値観に触れた時期だったんですね。高校卒業後は、どのような道に進まれたのでしょうか?

夏堀:釧路を離れて、札幌の北星学園大学に進学しました。地元が嫌だったわけではないんですけど、実家を出て暮らしてみたくて。大学ではよさこいのサークルに入って、1年生から副代表をやらせてもらっていました。最終的にはサークルの代表になって、大学4年間はずっとよさこいをやっていましたね。

―札幌での暮らしはいかがでしたか?

夏堀:自転車で30分もかからずに市街地まで行けたので、毎日のように出かけて行って、服屋さんやCDショップ、カフェを回ってました。すごく楽しかったです。
うちは両親がラーメン屋をやっていたので、週末にどこかへ連れていってもらうようなことはなかったんですよ。だから、釧路では自分でバスに乗って行ける範囲のことしか知らなくて。そういう反動もあったのか、とにかくあちこち出かけていました。
大学卒業後は、札幌の家具メーカーに就職しました。そこで3年間働いて、10年前に釧路へ戻ってきたんです。

―釧路に戻ろうと思ったのは、なぜだったんですか?

夏堀:仕事が大変だったのもあるんですけど、一番は実家の『ラーメン屋夏堀』を盛り上げたいという理由ですね。うちのラーメンを釧路の名物にしたいと思って。
札幌で仕事をしている間は、ずっと不安だったんですよ。会社で評価されていないし、将来についての焦りもあったし、そんな自分のことも嫌いで。だけど、家業を発展させるというのは本当にやりたいことだったんです。これなら真剣に取り組めるし、家族もみんなハッピーだと思って、今しかないという気持ちで釧路に戻ってきました。

―当時、ご実家のラーメン屋さんは、どのような状況だったのでしょうか?

夏堀:両親と兄がお店に立っていて、パートさんにも手伝ってもらっていました。お客さんにもたくさん来ていただいてたんですけど、私としてはまだまだできることがあるはずだと思って。

『ラーメン屋夏堀』旧店舗の内観

―お店を盛り上げるために戻ってきて、まずはどんなことをしたのか聞かせてください。

夏堀:まずは仕事を覚えることからでしたね。母がホールを担当していたので、その仕事を全部覚えようと思ったんですけど、それがもう大変で。
母はお客さんの名前と車、いつも食べるメニューを全部覚えてるんですよ。当時のうちの店舗はガラス張りで店内から駐車場が見えたので、車が入ってきたらナンバーを見て、どんぶりを用意するっていう。待ち時間を少なくするために、外まで注文を聞きに行ったりもしてて(笑)。

―車を停めたらすぐに注文を(笑)。

夏堀:そうなんですよ。あの仕組みが好きだったとか、印象に残ってるっていうのは、今でもいろんな方から言われますね。だけど、母のような動きは簡単には真似できませんでした。
あとは、父から厨房の作業も教えてもらったり、お店のSNSを始めたりもしましたね。まだSNSを使っている飲食店はほとんどなかったんですけど、情報発信は大事だなと思って。

―そういった取り組みは、お店にいい変化をもたらしましたか?

夏堀:それが、やっぱり親と考えがぶつかることも多くて。現状を変えてまでお店を盛り上げたいとか、広めたいと思っているのは私だけで、今までにないことをやればやるほど両親の否定になるのかもしれないと思ったんですよね。お店を発展させるために帰ってきたつもりだったのに、私の野心を押し付けてるみたいな状態になっていることに気がついて。それからは、何かを変えるにしても家族の意向を第一に考えるようになりました。

『クスろ』の誕生と紆余曲折

―2014年には、「くしろにもっとユーモアを!」をコンセプトにした市民団体『クスろ』を創立されています。こちらの立ち上げについて聞かせてください。

夏堀:高校の頃に仲の良かった友達が10人ほどいて、卒業してからもお盆やお正月のタイミングで集まっていたんです。そのうちのひとりが、一緒にクスろを立ち上げた名塚ちひろだったんですよね。私が札幌から釧路に戻ってきてから、彼女が遅めの夏休みをとって帰ってきたことがあって。2人で飲みに行ったときに、私が「釧路ってけっこう面白いんだよね」って話をしたんです。
というのも、私は当時、お店のお客さんとの会話の糸口を作るために、オススメしてもらった場所に行きまくってたんですよ。お客さんと仲良くなりたいという一心で、教えてもらった場所には全部行くようにしてて。そうしているうちに面白い人や店とたくさん出会ったんです。そういう話を名塚にしていました。

―お客さんのオススメスポットに行くことで、釧路の面白さを再発見したんですね。

夏堀:そうなんですよ。高校生までは行動範囲は狭かったのでわからなかったんですけど、実は釧路には自分たちが知らなかった魅力がたくさんあることに気づいて。そこに名塚も興味を持ってくれたんです。
ちょうど彼女も、全国各地で面白い取り組みをしている人たちの事例を追いかけていて、その話を聞かせてくれました。実際にいろんなウェブメディアを見せてもらったら、駅や空港で見るようなものとは違った可愛い地元グッズや、ユニークな取り組みの事例がたくさんあって驚きました。
それまでは町おこしといえば、お祭りとか町内会のゴミ拾いみたいなイメージしかなくて。それはそれで素晴らしい活動だと思うんですけど、若者が中心となって新しいアクションが生まれている状況を知って、自分たちでもそういうことをやってみたくなったんです。

―各地のユニークな事例に触発されて、釧路でも何かやってみたくなったと。

夏堀:はい。その頃、ちょうど私は実家のお店でやれることに限界を感じてて、自分で責任を持つ組織や仕事を見つけなきゃいけないと思っていて。
名塚は大きな会社でデザイナーをしていたんですけど、東京の暮らしに飽きてきていたらしく、2人とも夢中になれることを探してたんですよね。それぞれ替えのきく存在だったので、何か自分たちにしかできないことをしたくて。

活動を始めた頃の夏堀・名塚

夏堀:そこからはもう速かったですね。飲みに行った日の次の朝、6時くらいに目が覚めて「釧路の面白いスポットや人を紹介するコンテンツを作ろう」と思ったんです。それですぐに名塚に電話したら、彼女も「あ、こいつは本気だ」と思ったみたいで、とにかくいろんなアイディア出しをしました。
年末年始には名塚が10日ほど帰ってきたので、毎日ラーメン屋の仕事が終わってから20時に集まって、朝方までずーっとミーティングしてたんですよ。3時間しか寝ないで10日ぐらい過ごすという合宿のような数日間を過ごしました。

―そういうやりとりを経て、具体的にどんなものを作ることになったんですか?

夏堀:釧路の魅力的な人を発信しようということで、補助金を申請するための企画書を作って、情報収集と人脈作りができるようなウェブサイトを作りました。それがクスろの最初です。

クスろのWEBサイト

―ウェブサイトを発表した後の反響はいかがでしたか?

夏堀:反響は本当にゆっくりでしたね。最初は「人が街の魅力になる」ってことを全然信じてもらえなかったんですよ。釧路には食や自然といった観光資源がたくさんあるけど、人もめっちゃいいですよっていう話をしたんですけど、みんなピンとこなかったみたいで。だけど、「みなさんも友達がやってるお店だから行った体験とか、誰かにお勧めされて訪れたスポットってありませんか?」という話をしたら、ちょっとずつわかってもらえるようになりました。
そうやって面白い人たちのインタビューを続けていくうちに、だんだん反響が返ってくるようになってきましたね。最初に注目してくれたのは、釧路の外の人たちでした。関東に行っている釧路出身者の方から、「釧路にこんな面白い人がいるんだ」というような反応をたくさんいただいて。それから徐々に市内の人たちにも届いていった感覚でしたね。

―離れている人たちほど、地元のことが気になっていたり、情報を求めていたりしますもんね。

夏堀:そうですよね。インタビューが増えてきてからは、ひとめぐりツアーというのを企画しました。1泊2日で6組の人たちに会いに行くっていうツアーを実施したんです。これも反響があって、釧路以外の自治体や観光協会さんからも、「うちでもやってほしい」とか「ノウハウを教えてほしい」という話が来るようになりました。

―ウェブ上から実際の街へと、活動の場を広げていったんですね。

夏堀:1、2年目はずっと人の取材とひとめぐりツアーをやっていて、その後はイベントをたくさん開催しました。面白い人に出会えるマーケットということで、釧路に住んでいる海外出身者の方に集まってもらって多国籍料理の屋台を出すマーケットをやったり、釧路在住のものづくり作家さんに来てもらうマーケットもやりました。
あとはワークショップですね。釧路の価値や課題を探るというテーマで、まちづくりのワークショップを何度か企画しました。そのなかで参加者の方と一緒に考えた「釧路で実現したいアイデア」が4つあって、それはすべて実現しているんですよね。

―すごい! 具体的には、どんなことが実現したんですか?

夏堀:「自然とつながりが生まれる場所を市民と協力して作りたい」というアイデアは、数年後に名塚が立ち上げたゲストハウス『コケコッコー』として形になりました。「地域の仕事人セミナーを開催したい」というアイデアは、クシロソーシャル大学や地域外からセミナー講師に来てもらった企画などで実現。「ひとめぐりツアーをやりたい」というアイデアも形になっていますし、「東京にいながら釧路と関われる方法を作りたい」というのは、クスろの在り方そのもので、今も継続して地域外の人と繋がりながらプロジェクトを作っています。
これらのアイデアは、私たちクスろだけじゃなく、クスろの活動で出会った人たちと一緒に実現していきました。活動を通して釧路の人々と繋がることで、クスろだけじゃなく、街の中に頼れる人や場所が増えていったんです。会社とも友達付き合いともちょっと違う、お互いのことを応援し合う居心地のよい「地域コミュニティ」の重要性を実感しましたね。

釧路にゆかりのある人たちを集めて東京で開催されたイベントの様子

夏堀:そうやって順調に成長させてもらえたので、2016年頃には法人化の話も出ました。自分たちの活動だけでなく、講演の依頼も増えてきて、片手間でやるにはもう無理があったので。だけど、そのころに実施した大きなマーケットイベントで、私も名塚もすごく疲弊してしまって。
名塚は、東京にいながらクリエイティブのパートを担当していたんですけど、現場の様子やメンバーのことがわからず、クオリティに不満を抱えていて。私はひとりで現場をまとめなきゃいけなくて、細かくは見切れない状態だったんですよね。お互いにいいものを作ろうと思ってるんだけど、質の高いものにこだわる名塚と、関わってくれる人たちの満足度を上げたいと思っている私がぶつかってしまって。このままの状態で法人化して、利益を求めていく組織になったら、大切な存在である名塚との友人関係が壊れてしまうと思ったんです。なので、法人化は保留することになりました。

―そもそもお金を稼ぐために始めたことではなかったから、法人化に踏み切るためにはお互いの考えを再構築する必要があったんですね。

夏堀:そこから私たちは、それぞれの事業を始めました。私はこどものIT教育の教室を、名塚はゲストハウス『コケコッコー』を。それに伴ってクスろの活動をペースダウンさせ、2019年には私がパートナーがいる関東へ行くことになり、再び釧路を離れました。

出産・離婚を経て感じた社会構造の歪み

―関東へ行かれたのは、結婚がきっかけだったんですか?

夏堀:そうですね。結婚が決まって、まずは夫の会社の手伝いをすることになりました。アパレルのベンチャー企業だったんですけど、みんな能力が高いから何でもできるんですよ。私が必死にひいひいやっていることを、さささっと5分くらいでやれちゃうような人たちばっかりで。そんな環境だったので、「私がいても役に立てていないのではないか」と悩む毎日でした。
何をするにもわからないことだらけだから、誰かに聞かなきゃ進められないんです。でも、みんなの足を引っ張ることになるからコミュニケーションをとることが難しくて。

―それは苦しい状況ですね。

夏堀:ただ、いい経験にはなったと思います。すごい人ばかりがそろって、注目されている事業であっても、心身の健康や社会的に幸福で良好な状態を達成・維持するのは難しいという状況を目の当たりにして、改めて人間関係の大切さを実感する機会になりました。
結局、複業していたイラストレーターの仕事に専念することにして、妊娠のタイミングも重なり、1年ほどで退社。そのあとは、釧路で里帰り出産をして、産後1ヶ月で夫と暮らしていた関東の家に戻りました。そこで子育てが始まったんです。

―お子さんが生まれたことは、夏堀さんのなかでどのような変化だったのでしょう?

夏堀:たくさんあるんですけど、強く実感したのは「時間は自分で作るもの」という言葉が嘘だとわかったことですね。赤ちゃんって椅子から落ちたり、うつ伏せで寝ていたら、命に関わるじゃないですか。そういう存在と常に一緒にいるというのは、何をするにも待ったなしの状況なんですよね。時間なんてコントロールできません。それを強烈に実感しました。

―1日がすべて自分だけのものではなくなるわけですもんね

夏堀:だから、母親はもちろん、障害がある方や、ケア労働をされている方、誰かを介助しながら生活をしている方は、みんな何かしらの制限があるなかで生きているのだと気づきました。そういう状態だと、生活は不便だし、人との約束もしにくいじゃないですか。自信も持てなくなるし、強くなれないよなと思って。
だから、やっぱり物事は物質主義ではなく、命主義で考えないといけないと痛感しました。命よりも見栄やプライドを重視すると、不自然なことがどんどん起きていく。その結果、不幸せな人や、不平等な人が生まれてしまうんじゃないかなと。とにかく、機会が均等じゃなくなっていくのを強く感じました。

夏堀:今って、家庭内で「外で稼いでくる」という役割を持った人が、仕事にかなりコミットしないといけない状態じゃないですか。でも、本当にコミットしなきゃいけないのは命だと思うんです。
だから、「外で稼いできてるんだから家のことができなくても仕方ない」というのは違うんじゃないかなって。そこを柔軟に調整できないのは、社会が物質主義だからだと思うんです。本来は命が優先された上で、必要なお金を稼ぐっていう順番のはずなのに、今は稼ぐために命や暮らしが揺るがされているような気がしています。

―確かに、そういう傾向はあるかもしれませんね。

夏堀:例えば、夫は仕事が忙しくて苦しんでいて、妻はなんで事業を減らしたり、会社の規模を小さくしたり、転職したりできないんだろうと思っているとします。夫の視線は未来に向けられていて、現時点の自分たちや家庭内が不安定なことを見過ごしてしまう。でも、妻はまず自分たちの価値が尊重され、家庭の安定を継続させることを優先させるべきなんじゃないかと感じる。結果的に、夫も妻も苦しみ続けてしまう。
こういうことって、今の世の中にはたくさんあると思うんです。外で稼ぐ役割を頑張ってきたけど、自分が潰れちゃうっていう。そうするとうまくいかないことの矛先が家庭内に向いていく傾向があると思うんですよ。きっと、社会の歪みって、人を通して家庭という閉鎖的な場所に持ち込まれて、最終的には生活に向かっていってしまうのだと思います。うちもそういう状況になってしまったので、関東で生活していくことに限界を感じ、釧路に帰ってきた後に離婚を選択することになりました。

―そういう実体験によって、社会への問題意識が芽生えていったんですね。

夏堀:そうですね。家庭内に歪みが生まれるのは必ずしも個々の問題だけでなく、社会構造にも原因があるんじゃないかなと。今はそこに興味があります。
産後って本当に体がキツくて。私の場合、腰も肩も痛くてもう立つのもやっとなんだけど、1人で家計を支えなきゃいけないし、子どものことを全部やらなきゃいけなくて。母乳も出なかったりするから、母乳外来に行ってやっとのことで飲んでもらうみたいな。そういう状態だと、自分に対して心身ともにガッカリしちゃうんですよ。本当に心も体もボロボロで。
だから、子どもを育てていくためにはパートナーがいることが前提になっているような世の中っておかしいよなと思っています。出産・育児によって仕事量や収入が減っても、生きていける世の中じゃないと変だよなって。ひとりで子どもを育てていくのって、仕事面でも生活面でも本当に待ったなしの状況なので。


最後までお読みいただきありがとうございます!

これまでの私や、今考えていることなどについて少しでも知る機会となりましたら嬉しく思います。

阿部さんによるインタビュー記事の2回目は、4月上旬に公開予定です。
私のイメージする理想の釧路について語らせていただきましたので、こちらもお楽しみに!

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